福山雅治主演「そして父になる」を観て・・親子とは?血よりも時間?

サブカル

テレビを点けると、2013年9月に公開された福山雅治主演の映画「そして父になる」が放送されていました。

話題になった映画だったので観てみましたが、子を持つ父親として感情移入しちゃうのかなぁと思っていたところ、割とそこまででは無かったかなというのが一番の感想です。以下、一応ネタバレ注意です。

 

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何故か子供に感情移入

まああの奇跡のイケメンアラフォー俳優福山雅治が主演じゃ感情移入なんてできるわけがないですね。

役どころもどっちかといえば、―――いやどっちかといえばという言い方は明らかに違うな。僕は完全にリリー・フランキー演じる、ボロく小さな電気屋の主人である斎木雄大側ですしね。逆に福山演じる野々宮良多のいちいち細かい性格にイライラしてしまいました。

(あまり言うと福山雅治ファンに○されかねないので言いませんが)

それでも一か所だけこみ上げてくるものがあったシーン。

初めて良多を「お父さん」と呼んだ、斉木に育てられた良多の実子である琉晴くん。

それを機にせっかく家族3人打ち解けたと思った直後の「パパとママのところに帰りたい」の一言の後の、両手で顔を隠してごめんなさいと謝る姿。

これは正直胸が詰まりました。

可哀想でしたね・・・。

って子供のほうに感情移入かよ!

 

血よりも時間?

この映画を御覧になった、子を持つ親のほとんどの人が、もしウチの子が実は他人の子だったら・・・と自分に当てはめて考えると思うのですが、僕はやっぱり血よりも一緒に暮らした時間ですね。

3歳と1歳半の愛娘が、実は取り違えられて他人の子でした・・・なんていきなり言われても、「ふーん、で?」という反応しかできないと思います。

それはまぁ自分が、自らの腹を痛めて産んだ母親ではなく、父親だからかもしれない。

いやむしろ、出産という確実な繋がりを持たない父親であるからこそ、これまで育んできた「時間」というものが親子としての最大の繋がりであり、父親としての唯一の実感なんだと思います。

ふと、僕の祖母が生前、自分は実の母親に捨てられて赤の他人に育てられたんだ、血が繋がっていないんだとよく悲しそうに話していたのを思い出しました。だから僕は本当の曾婆ちゃんに会った事がない。それどころか僕の父でさえ、自分の実の祖母の顔を知らなかったらしいのです。

それこそ当時は戦中戦後の動乱の世の中だったわけで、今では考えられないびっくりするような事が日常的にあったであろう時代ですからね。父も特に気にした事が無かったそうです。

で、数年前とある何かをきっかけに、その実の曾婆ちゃんの戸籍等を、両親巻き込んで探してみた事があったんです。いわゆるルーツ探しですね。

役所やお寺や親戚、手掛かりのありそうな処を聞きまわり、漸く存在を探し当てた時は何とも言えない感動がありました。

勿論その時点より数十年前に亡くなっていたのですが、曾婆ちゃんの人生というか、軌跡というか、知らない人の筈なのに、滅茶苦茶親近感がわくようななんとも不思議な感情で溢れたものでした。

実の曾婆ちゃんのお墓や、婆ちゃんを手放してからの寂しい人生は勿論のこと、更に曾婆ちゃんが婆ちゃんを捨てなければならなかったどうしてもやむを得ない事情など、実の娘である婆ちゃんですら知らなかったであろう事まで知る事ができたのです。

話が思いっきり脱線しました。

で、結局家族って、血なのか?時間なのか?

自分が一体何を言いたかったのかわからなくなってしまいましたが、家族って不思議ですね!(なんだそりゃ)

てことで!

しろうめず@ShiroUmezでした。

サブカル
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