日本一人口が少ない鳥取県(60万人)。調べてみると、千葉県船橋市・鹿児島県鹿児島市と同じくらいの人口です。東京都で言えば、八王子市が58万人で同じくらい。杉並区から江戸川区の中間くらい。
市や区に負ける県w それが僕の住む鳥取県。
直近の8年間ほどは実家を離れ、妻、そして産まれてきた子供たちとアパート暮らしをしていました。しかしこの春(2015年)、子供たちの保育園入園に合わせて、生まれ育った実家へ引越し。祖父母(僕の両親)含めた2世帯6人家族に。
今日は、家族を持った自分が田舎で暮らすことについての覚悟というか、想いみたいなものをまとめてみたいと思います。「田舎暮らしでスローライフを」なんて理想を抱いていらっしゃる方に、是非読んでいただきたいな。
大嫌いだった田舎暮らし
独身時代はこの田舎が大嫌いでした。だって狭いんだもの・・・。周りの人は皆顔見知り。問題起こしたらあっという間に広まります。問題っていってもたいしたことじゃないんですよ?
例えば学生時代の話。街中で異性と立ち話をしていただけで、翌日には「あそこの息子とあそこの娘は付き合ってる」と町中が噂話。
例えばお洒落しようと髪を染めようもんなら「あそこの息子は不良になった」。
学校を卒業し、成人した人間が数日間家から出てこなかっただけで、「あそこの息子はニートで引きこもりだ」・・・。どうよこれ?
田舎暮らしから逃亡
幼い頃からそんな田舎が嫌で、高校卒業後は専門学生時代の2年間だけ大阪へ。
大阪の怖さに怖気づいてすぐ帰りましたけどねw だって夜小腹がすいてコンビニ出掛けたら暴走族はいるわ、おっちゃんとホステスさんが殴り合いの喧嘩してるわ。カラオケ行ったらぼったくられて黒服でてくるわ・・・。
でも自由で良かったなー。周りの目は気にしなくていいし、一晩中ゲームしてても文句言う親もいないし。
何故か田舎に舞い戻って社会人生活
専門学校卒業後はまた実家へ逆戻り。なんで大嫌いな田舎に帰るのかというと、・・・なんでしょうね?洗脳みたいなものがあったかな、幼い頃からずっと。
親や祖父母、親戚だけでなく近所のおっちゃんまでも、僕が小さい頃から「お前は長男坊だから、いつかは家を継がないといけんぞ」って。だから嫌で嫌でしょうがなかったけど、自然と足が地元に向いてましたね。洗脳って怖いw
社会人になって帰ってきても、地元イベントや行事はもちろん不参加。だってめんどくせーもん。近所のオッサンおばさんと絡むのが。下手なコト話すと、尾びれ背びれがついて町中まわるし。
出たら出たで打たれる杭。出なかったら出なかったで不審人物扱いで村八分。そんな田舎生活が再びスタートしたのでした。
田舎暮らしをする覚悟、家を継ぐ覚悟
再び実家から逃亡
なんやかんやあって三十路のときに、彼女(現妻)と暮らすために再び実家から逃亡。近くの市にアパートを借りて住むことにしました。
アパート暮らしは快適でした。
田舎といっても地元よりは人口も多く、周りを気にしなくていい生活。イベントも、もちろん寄合も関係ないしね、移住者的には。ゴミや周辺の掃除なんかも不動産屋?大家さん?が業者使ってやってくれるし。(家賃のなかの共益費で賄っている)
結婚したあともそんな感じで、気ままに暮らしてました。
実家に戻り、新生活
そんな気ままなアパート暮らしでしたが、僕の頭には常に、ある悩みが。それは、いつかは絶対に実家に帰って家を継がなければならないということ。ほんと見事な洗脳です。
まぁそれに、この先ずっとアパート暮らしなんかしてたらダメだって想いもありましたけどね。賃貸住宅なんてなんの価値も残らない、ただの捨て銭だから。長く住めば住むほど損をします。
そうこうしてるうちに子供が2人産まれ、上の子が4歳になる今年、とうとう覚悟を決めて実家に帰ることにしたわけです。
帰るタイミングとしては子供たちの「保育園入園」か「小学校入学」のどっちかだなーって頭がずっとありました。最終的には、どうせ帰るなら早いほうがいいか、と。
家を継ぐということ
幼い頃から「家を継げ」と言われて育ったわけですが、家を継ぐってのは物理的なものだと大人になるまで思ってました。すなわち、代々先祖が住んできた、家という建物(土地)を継ぐということ。
いや、当然それも含まれるんですが、家を継ぐってのは「名字」を継ぐことでもあるわけです。名字を継ぐというのは、ご先祖が代々行ってきた自分たち家族の生活基盤の確立、ご近所づきあい、それにより培ってきた、○○家の歴史と存在を継ぐということ。
なんだか仰々しいこと言ってますが、日本人にとって名字ってのは、いろいろな事が詰まった重いものなのです。そして、死んだらご先祖と同じ墓に入る。
それが「家を継ぐ」ということなのだと、最近なんとなくわかってきたところです。
子供たちが安心して暮らせる場所に
なんのためにご先祖たちは、そうして名字を継ぎ、家を継いできたのか。それはつきつめると、我が子を守りたいからという気持ちに行きつくんじゃないかな。
家を、我が子が安心して暮らせる場所にしたい。ご近所さんにも子供たちの事を優しく見守ってもらいたい。だから自分も近所の子供たちを、我が子同然に気にかけてあげる。
地域イベントや行事にも参加し、協力したり、協力を求めたり。そうして家の存在を知ってもらい、家を継いでいく。
家族を持った今の自分は、その覚悟を持って、田舎暮らしをしていかにゃならんのです。
【まとめ】「田舎暮らし」という名の新生活
思えば僕の両親や祖父母は、地元イベントにはしっかりと参加するし、行事も進んで行うし。なるほど、そうだったんだなと。
先日近所のおじさんが、僕に「今度の運動会、夫婦でちょっとだけ走ってくれないかな。嫌ならいいから。無理にとは言わないから。」なんて、凄く遠慮しながら誘ってくださいましたw
当然、全力で走ってきます。
以上です、しろうめず@ShiroUmezでした。
【関連記事】